学心塾 大井松田校

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住所
神奈川県大井町金手8-15
電話
0465-83-4040

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 講師一同が考える学力アップとは、「学力アップ=子どもたちの集中力&素直さ+講師たちの情熱ある指導」であると信じて指導しています。また、大井松田校の講師たちは、子どもたちと、ともに笑い、ともに苦しみ、ともに喜びを分かち合いたいと考えております。そんな温かい教室で、授業を体験してみませんか。

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●Kの日本史 第17回

いよいよ「中3合宿」直前となりました。

中3以外の皆さん! 塾の宿題や学校の宿題をいろいろ抱えてますよね!?夏休みも残り半分になりましたよ。最後の3日間とかに大量の宿題をするハメにならないように、

 

ちゃんと計画的に終わらせていってくださいね!!

 

そして中3の皆さん!

合宿に行く人も、行かない人も、今までの夏よりも「本気度」の高い夏にしなければなりません!なにせ、

高校合格という人生がかかっているんですからね!!

入試が終わってから後悔しても遅いですよ!!?

 

 

江戸レンジャー1

今回のポイント(江戸時代 その5)

●江戸時代の農業・水産業・鉱業・船・商業の発展のようす●

 

◆農業→「新しい田んぼの開発」に力を注ぐ。荒れ地を田んぼに変え、米作りを発展させる

先が割れたクワ「備中(びっちゅう)ぐわ」の開発

◆水産業→各地で漁業がさかんに行われる。

例▽千葉の九十九里浜・・・いわし ▽四国や西日本・・・かつお・クジラ

◆鉱業→ 今はほとんど取れませんが、昔は日本で金・銀・銅が取れたのです!!(オリンピックじゃなくて、本物の金です)

有名な鉱産・・・佐渡金山(新潟)石見銀山(いわみぎんざん・島根・世界遺産)足尾銅山(栃木)

 

 

Kの日本史 第11回

Kの日本史 第11回 日本に鉄砲が伝わる

鉄砲はドラマでも、警察でも、戦争でも出てきますよね? 決して良い使い方ばかりでは無いですが、世の中にも存在が行き渡っている「鉄砲」。日本に伝わったのは、ある意味偶然で・・・。

 

1543鉄砲

今回のポイント

1543年→ 鉄砲が種子島(鹿児島県)に伝わる。

●もともと日本に伝えようというのではなく、

船が流されてたどり着いたのがたまたま種子島だった

というのが有力な説です。

●ちなみに、船は中国のもの、乗っていたのがポルトガル人だそう。

当時の火縄銃は、弾を1発うつのに15秒もかかったそうです。

火薬も弾のセットも全部、手作業だったのです。

 

 

Kの日本史 第10回

●Kの日本史 第10回●日本VS元軍終戦・その後の日本

 フビライハンの元軍に2戦2勝した日本。しかし、鎌倉幕府は財政の悪化(=いわゆるお金がない)で、強くなるどころか逆に幕府の崩壊が迫り・・・。

 

 

今回のポイント

●鎌倉幕府の滅亡・・・1333年

元と戦った御家人は、勝ったのにその恩賞(=ほうび)をもらえず、政府(鎌倉幕府)に不信感を持った。

幕府は、御家人の反乱を抑えるため、借金を帳消しにする「徳政令」というものを作り、騒ぎを静めようとしたが、逆に、お金を貸している方から文句が出て(「金を貸すのが商売なのに、返さなくて良いとはどういうことだ!?こっちの仕事がなくなるではないか!」)、ますます幕府は混乱した。

結局、元との戦いから約50年後、鎌倉幕府は滅亡し、新しい政治のリーダーが出て、新しい時代がやってくるのである。

ちなみに、途中ででてくるアシカは、少し、次の時代のヒントになっています。(飼い主も、かまくらを壊した人も)

それはまた別の機会に。

 

 

Kの日本史⑨

●Kの日本史⑨● 日本 VS ゲン軍 完結編 

-第2戦・弘安の役-(1281年)

_「申込御礼」________________________

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まだまだ受付中です。 大井松田校TEL 0465-83-4040です。 ご参加、ぜひお待ちしております。(まずは講習の内容に関してのご説明の時間を設けさせていただきます。詳しくは上記の電話番号までお問い合わせください。)

 そして、日本VSフビライ軍(元こう)は、ついに決着(第2戦)!

勝ったのは? そして、勝った理由は!?

 

今回のポイント

●元寇(げんこう)2回目●

日本(北条時宗軍) ○-× 元軍(フビライ軍)  日本2連勝。

1281年「弘安の役」(こうあんのえき)・・・弘安とは当時の日本の年号。

前回の戦いで敗れた元軍が、リベンジをするために、7年後に水軍でふたたび九州地方北部へ突撃。何万人という兵隊で、日本軍と戦う。

前回の戦いの後、日本は、そういうときのために博多湾に石塁(せきるい)を造り、敵の侵入を防ぐ策をとっていたのである。

また、全国から御家人(ごけにん)と呼ばれる家来を九州に呼び、元との戦いに加わらせた。

このとき、なんらかの「ほうび」をもらえると聞いて、命をかけて戦った御家人は、幕府の財政の悪さで、結局ほうびがもらえず、「幕府不信」を起こしたのであった。

最後は、またもや暴風雨が元軍に大被害を及ぼし、日本から退却した。またも日本に勝利を呼び込んだこの風を、「カミカゼ」とも呼んでいる。

そして元軍は、3回目の戦いも考えたが、実現せずに終わった。

もし日本が負けていたら、今の日本人は、モンゴル人だったかもしれない・・・!?

 

(フビライ編 おわり)

 

 

●春期講習申し込み御礼!● Kの日本史⑧

●Kの日本史⑧● 日本 VS ゲン軍(元軍) その2 

-第1戦・文永の役-(1274年)

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蛇足ですが、Kの日本史もまだまだ続きます!

日本対フビライ軍団、ついに戦闘開始!

 

今回のポイント

●日本と元軍のこの戦いを、「元寇(げんこう)」と言います。●

2回あります。 今回はその1回目。 日本(北条時宗軍) ○-× 元軍(フビライ軍)

1274年「文永の役」(ぶんえいのえき)・・・文永とは当時の日本の年号。日本征服を目指す元軍が、朝鮮半島を経由し、水軍(船の軍)で九州地方北部へ突撃。何万人という兵隊で、日本軍と戦う。このときの元軍の戦略は、

① 日本兵1人に対し、数人でおそいかかる「集団戦法」

② 相手をまぶしい光の爆弾で混乱・かく乱させる「てつはう」(丸い弾丸。本来は大砲で空に向けて撃った。)

であった。

日本よりも技術の進んだ方法であったが、最後はおおあらしが元軍に大被害を及ぼし、日本から退却した。日本に勝利を呼び込んだこの風を、「カミカゼ」とも呼んでいる。

しかし、元軍は、これではあきらめなかったのであった。

(つづく)

 

Kの日本史⑦

 Kの日本史⑦ 日本VSエビフライ!?-その1-

 

今から700年ほど前(鎌倉時代)、日本に大陸の軍団が乗り込んできた!

負けるとモンゴル(といってもいいくらいモンゴルっぽい国)に征服されてしまうかもしれない、この戦い。

きっかけはモンゴルの方からの「ある手紙」だった・・・。

日本VS元 プロローグ

 

 今回のポイント

<日本>

●鎌倉時代の西暦1170年ごろ

●日本の政治の中心は「鎌倉ばくふ」

●政治のリーダーは、執権(しっけん)・北条時宗(ほうじょうときむね)

●サムライ中心の世の中

<戦いの相手・元(げん)>

◯場所は今のモンゴルのあたり

◯この頃は中国よりモンゴルが強かった

◯そのモンゴルが、力まかせに日本を征服しようとした。

◯日本に手紙を送ったのは、国「元(げん)」の皇帝、フビライ・ハン(人名)

◯「手下になれ」という内容を、日本に断られ、戦いで日本を手に入れようとした。

 

次回、第1戦!!(ってことは第2戦もあるのかな??)

 

Kの日本史 第6回

●Kの日本史 第6回●女王ヒミコ 密着24時●後半

 

歴史を学ぶと、必ずはじめの方に出てくる「ヒミコの話」。卑弥呼が中国に「おつかい」を送った目的とは?

ヒミコさま No.2

今回のポイント

●西暦239年、「卑弥呼が中国の国『魏(ギ)』に使いを送る」。

●目的→ 邪馬台国の強い権力を守るため、中国の力のある国に味方になってもらおうと考えたから。

●目的を果たしたとともに、ギの国王が、

①銅鏡100枚  ②金印(金色に光る豪華なハンコのようなもの)  ③「親魏倭王(シンギワオウ)という称号(いわゆる「ミス日本」のような呼び名のこと)   

を卑弥呼に贈った。

●このやり取りは、中国の歴史書「魏志・倭人伝(ぎし・わじんでん)」に記録されている。

 

日本人がはっきりと、いつ何をどうした、とわかる歴史は、これが一番最初です。教科書でも必ず出てくるので、しっかり覚えておいてくださいね!

 

Kの日本史 第5回

Kの日本史 第5回

●女王・ヒミコ 密着24時●前半

ヒミコって、結局どんな人??

舞台は弥生時代の「やまたいこく」。

新しいキャラ3人(+作者)が登場し、さらに日本の歴史に迫る!

(クリックして拡大↓)

 

ヒミコさま No.1

 

 今回のポイント

卑弥呼とは・・・ 今から約1800年前(西暦230年ごろ)生きていた、

倭(わ)という国の「邪馬台国」の女王様。

倭とは、今の日本のこと。

呪術(いのりの一種)を得意とし、時には天気をも変えてしまった、という話も。

女のめしつかいを従えて、卑弥呼の弟も世話をしていた。

 

邪馬台国(やまたいこく)・・・「倭=日本」の中にあった国。

当時の日本には、さらに国があり(今でいう県のようなもの)、周りの国を邪馬台国がしきって、支配していた。

そのリーダーが卑弥呼である。

 

 

(後半へつづく)

 

 

Kの日本史

Kの日本史 第4回

コロンブスの旅-後半-

 

インドを発見するために、大西洋を船で渡ったコロンブス。

果たして彼の前に現れたものは・・・?

 今回のポイント

① コロンブスが発見したのは、インドではなく、アメリカ中央にあるカリブ海の「西インド諸島」。

  アメリカの島に「西インド諸島」と名付けてしまった!

② インドへの航路を発見したのは、バスコ・ダ・ガマ(冒険家)。

③ 世界一周を達成したのは、マゼラン(冒険家)の一団。しかし、船長のマゼランはフィリピンで原住民との争いに巻き込まれ、殺されてしまう。

●地図帳でアメリカ大陸を見てみましょう。なぜか「西インド諸島」とのっているはずです。これはコロンブスのカン違いからきていたんですね!

次回もお楽しみに ノシ

 

Kの日本史 第3回

Kの日本史 第3回

「コロンブスのカン違い」を学ぼう-前編

あの有名な、海の冒険家・コロンブス。
彼は今から500年ほど前、まだ誰も見つけていない「インド」へと出発する。
地図も衛星写真も無いこの時代、
コロンブスが発見したものとは・・・?

  コロンブス-1


今回のポイント

●西暦1500年頃は「大航海時代」
 

ヨーロッパの各国が、新しい領地や、「香辛料」(コショウなど)を求めて、海を渡った時代。

●海の探検家2人
 

コロンブス(1492年、○○を発見)
 

バスコ・ダ・ガマ(コロンブスのあと、○○に到着)

 

ペリーの「日本襲来」を学ぼう 後編

Kの日本史 第2回

ペリー来航(後編)

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今回のポイント

●いつ→ 1854年(ペリーが来た翌年)

●誰が→ 江戸幕府とアメリカが

●何をした→日米和親条約を結び、日本が約220年ぶりに開国した。

●開いた港→ 下田(静岡)、函館(蝦夷地)(=今の北海道)

 

アメリカの迫力に負けた形です。鎖国から開国になり、ここから15年間の日本は、江戸幕府の最終章を迎えることになります。

 

次はいつの時代か? お楽しみに!

「ペリーの日本襲来」を学ぼう  前編

日刊(?)「Kの日本史」連載スタート!!

第1回目は「1853年・ペリーの黒船来航」(前編)

クリックで拡大できます。(右から左に読んでね↓)

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 後編へつづく!(近日公開)

 

今回のポイント

●いつ→ 1853年(江戸時代の終わり頃)

●誰が→ アメリカのペリーが

●なぜ→ アメリカが、日本との貿易を求めて

●どうした→ 神奈川県の浦賀に上陸した。

 

歴史では、これからの日本にとっての重要なポイントになります。

文が苦手なら絵でもいいから、ぜひ覚えてね!

 

 

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